この書籍の著者である奥井晶氏(以下、奥井氏)は、戦後日本における大学通信教育の制度設計と実務運営に深く関わった事務職員(実務者)であり、特に慶應義塾大学通信教育部(通信教育課程)の発展において実務経験に裏打ちされた業務遂行力で、中心的な役割を果たした人物と言われ、日本における大学通信教育の歴史を知る上で欠かせない人物とも言えるだろう。
本書はその奥井氏が、戦後日本における大学通信教育の制度的・実務的な歩みを、慶應義塾大学通信教育部での実務とその実践を中心に描いた記録であり、制度の内側から教育の本質に迫る視点が本書の大きな魅力かつ特徴として挙げられる。
筆者自身も約30年前に学校法人慶應義塾の学生嘱託職員として通信教育部事務局教務課に配属され約4年間勤務した経験があり、奥井氏とは「日本通信教育学会」の会員であったことも含め、二つの共通点を持つ。そのような背景から、この書籍を読むことは、個人的な回顧と戦後日本における大学通信教育の制度理解の両面において、深い示唆を得る機会となった。
一部では、この書籍を「日本における私立大学の通信教育課程の創設とともに歩んだ人物による手記」と評するが、内容としては、戦後日本における新しい開放型教育としての大学通信教育の歴史的背景、実践の記録、理論的考察がバランスよく配置されており、教育行政、大学経営、教育学の観点からも読み応えがある。特に、大学通信教育における支援体制や、学習者のモチベーション維持の工夫など、実務と実践に根ざした知見が豊富に盛り込まれている。
実は、奥井氏は、慶應義塾大学の通信教育課程における教材制作と事務処理を担うために設立された「慶應通信教育図書株式会社(後の慶應通信株式会社、現:慶應義塾大学出版会株式会社)」にアルバイト社員として入社し、後に正社員となって、事務職員の立場から大学通信教育に関わった。その経験を通じて、大学通信教育の運営において事務職員が果たす役割の重要性を本書は明確に示していることは非常に高い価値を持つと言える。
そして、筆者が本書から強く感じたのは、大学通信教育において、印刷教材等による授業を通じて個々の学習者が単独学習を行う中で、学習指導、教材発送、教材改訂、科目修得試験の運営、それらに加えて、各種面接授業(スクーリング)の手配などを事務職員が担っているという点である。これらの業務は、通学課程の事務職員と比較して、大学教員を支える教育者としての役割も含んでおり、その業務遂行には事務職員としての高い矜持と学術的な専門性が求められる。これは筆者自身の経験とも重なり、大学通信教育における事務職員の存在意義を再認識する機会にもなった。
加えて、この書籍では、昭和20年代の大学通信教育における創設期から始まり、学園紛争、放送大学の設立、そして平成初頭までの大学通信教育の流れが丁寧に記されている。ただ、制度の変遷を追うだけでなく、「教育の機会均等」を単なる「入口の平等」にとどめず、「学びの質と継続性」にまで広げて考える奥井氏の視点は、現代の教育政策においても再評価されるべきものであろう。
そして何よりも、大学通信教育が単なる「代替手段」ではなく、「新しい大学教育の可能性」を切り開くものであるという奥井氏の主張は、今後の大学教育制度のあり方、そして大学教育の未来を考える上で、極めて示唆に富んでいる。
総じて、この書籍は、過去の制度と実践を丁寧に振り返りながら、未来の教育に対する洞察を与える“温故知新”の書籍と言える。だからこそ、この書籍には一読の価値があり、筆者自身もいつか、平成初頭から令和までをテーマとした大学通信教育に関する著作を執筆し、大学通信教育に関わるすべての人に届けたいという強い想いを新たにしたところである。
寺尾 謙(神奈川工科大学)
(「日本通信教育学会報」通巻65号より)