花柳幻舟が何者かご存じでない方は、まずはWikipediaで検索されることをお勧めする。本書は、舞踊家、女優、作家にして、その所業で世間を騒がせることの多かった希代の女丈夫による放送大学卒業報告である。
西日本各地を回る旅役者の子として生まれた幻舟は、物心ついたときには子役として舞台に立っていた。旅先で父親が手続きをとり小学校に行かせるものの、差別やいじめをくり返し受け、学校は地獄のような恐怖の場、自分にとっての「敵」だと思うようになり、やがて行かなくなる。「小学校中退」である。後年、自分にとってのキーワードのひとつが「学校」だということを突きとめ、そこで受けた大きな心の傷(トラウマ)に正面から向き合ってみよう、再びあの恐ろしい「学校」へ行ってみようという大挑戦を企てることになる。
夜間中学や大検などについて調べ、たどり着いたのが放送大学だった。一般教養科目16単位を取れば大学入学資格が得られるという、いわゆる「特修生」である。大学に電話をかけたとき出てきた事務員のいった「ゆっくり頑張りましょう」という言葉に心を強く大きく動かされ入学を決意する。学歴を取得するためではなく、心の中の傷を治療するために。「ゆっくり」といわれたものの、わずか1年、2回の試験で16単位をクリアできたことで大きな自信を持つことになる。同時に、これまで「学校」と「学問」とを一緒くたに考えていたことにも気づく。「学校」と「学問」は違う。また、管理運営がしやすいように何でもかんでも規則を作っている点で、「学校」と「刑務所」と「軍隊」がよく似ていると思ったりする。恥ずかしながら筆者が哲学や教育学の先達の書物で学んだ知識を、この人は実体験から引き出しているのである。余計な情報かもしれないが、幻舟には刑務所の経験がある(Wikipedia参照)。
こうして、少しずつトラウマが癒され、穏やかな気持ちになっていく。徐々に「学問」だけが見えるようになり、「学問」の楽しさがわかってくるほど心が癒え、心が癒えるほど「学問」が楽しくなる。やがて、どうせ法律を学ぶなら司法試験という目標を持ってやってみるのも面白い、また、トラウマを治療するなら荒療治もいいかもしれないと思うようになり、放送大学を中断し、司法試験予備校に通うことになる。小学生がやるような算数の勉強と判例を読む作業とを何秒間かのタイム差でいったりきたりする毎日を過ごし、とうとう成績優秀者の中に自分の名前を発見するようにまでなり、「凍えついた全身に、温かいお湯をゆっくりかけてもらっているような、心あたたまる実感」を味わうことになる。だが、禁錮以上の刑に処せられた者は弁護士になれないという「欠格事由」(弁護士法第6条の1)に直面し、はじめは司法試験に合格して裁判闘争をするに値する絶好のテーマだと考えたものの、判例がすべて敗訴であるという現実を知り、二年半の必死の努力もむなしく司法試験を断念することになる。
放送大学に戻った幻舟は、本領を発揮する。面接授業で出会う講師たちの心の中に潜む「教えてやっている」という本音を敏感に読み取る。科目案内冊子に書かれていない内容の授業には授業料返還を要求する。高圧的な態度で差別的発言を繰り返す女性教師に対しては、当局に「公開質問状」を出すなど、はっきりと意思表示をするようになる。一方で、すでに心の傷が癒え、自信と誇りを復活させた幻舟は、講師のしゃべり方とか癖にムッとすることがあっても、この人の嫌なところを発見するな、アラを拾うなと自分に言い聞かせ、「学問を私に伝えているだけのこの人たちに責任はない、別段この人の人柄を見にきたんじゃないんだからどーでもいいじゃないか」と思えるまで変身を遂げているのである。そして、「知識とはたまたまそれを知っている人がたまたまそれを知らなかった人に教える程度の他愛のないものである」とか、「こんなことを訊いたら恥ずかしいのではと葛藤している人を思いやる想像力こそが豊かな教養である」とか、「教師になる前に世の中に出て会社の上司にボコボコに小突かれたり、商店でお饅頭一個売るのがどんなに大変かという人生修行を味わうべきである」、などといった教師論は痛快である。かくして幻舟は放送大学を卒業し、「大学卒業」となった。学問はセクシーだといい、学問をしたおかげで「ついに私自身をつかみとった」と言い切る幻舟に「あっぱれ!」、そしてそのような機会を提供することができた放送大学にも「あっぱれ!」である。
本書の後半には、幻舟の放送大学卒業論文『メディアの犯罪、その光と影―ある創作舞踊家が逆照射した現代の報道イズム―』が掲載されている。Wikipediaで幻舟の所業にアドレナリンが出た方は、本人による名誉回復の著としてこれも併せてお読みいただきたい。
(桜美林大学 鈴木 克夫)
(「日本通信教育学会報」通巻46号より)