「自分の研究や実践の支えとなるバイブル(聖書)のような本はありますか?」と聞かれたら,本稿を読んでくださっているみなさんの頭の中には,どんな本が浮かぶでしょうか。私がこの質問をされたならば,真っ先に頭に浮かぶのが今回紹介させていたく「教材設計マニュアル」です。そして,この本との出会いがきっかけとなり,私は通信制高校の実践に熱中し,研究者としての道を歩み始めるようになりました。本稿では,この本の紹介よりも,この本を取り巻く私の周縁的なエピソ ードが多くなってしまうかもしれません。しかし,それらを通してこの本の魅力が少しでも伝わり,1人でも多くの方が手にとっていただけるきっかけとなれれば幸いです。
私が「教材設計マニュアル」と出会ったのは,現在勤務する公立通信制高校に着任した2017年のことでした。多くの公立通信制高校教員がそうであるように,当時の私も過去に通信制での勤務経験はなく,通信教育の知識やスキルは皆無でした。着任当初は,それまで勤務していた全日制での経験が全く通用せず,自学自習が中心となる通信制の生徒の学びをどうやって支えていけばよいのだろうかと思い悩む日々でした。そんなときに,職場の同僚であり,本学会の会員でもある石川伸明先生に紹介していただいたのがこの本でした。「たとえ数学が苦手な生徒でも,自宅で自分の力で学べるような教材を開発したい」,そんな思いでこの本を読み始めました 。
「教材設計マニュアル」では,学習者が1時間程度の短時間で,独学で学べる紙教材の開発をゴールに解説が進められていきます。その中では,学習目標の明確化,3種類のテストの作成(前提・事前・事後),課題分析,指導方略の策定,教材の形成的評価と改善など教材開発の基礎・基本となる内容が,実例を交えながら,丁寧かつ緻密な論理で解説されています。
インストラクショナルデザイン(ID)に基づいたシステム的な教材開発のアプローチは,通信教育の経験がなく,指針を求める当時の私にとってぴったりの本でした。書かれている内容はどれも基本的な内容でも,「学習目標の明確化」というテーマ1つをとっても,例えば「二次方程式を理解する」という明確でない学習目標を設定した場合,(頭の中の変化ではなく)具体的に何ができるようになれば目標を達成したと判断できるのか,どのような評価条件(何も見ないで,5分以内になど)や合格基準(全問正解など)でできるようになれば目標を達成した判断できるのか,といった問いを突きつけられ,通信制の自学自習の中では,生徒に教師が意図する学習目標を正確に認識させることでさえ容易でないと痛感しました。
「教材設計マニュアル」では,実際に教材を開発することを強く推奨しています。私も実際にこの本を参考に,まずは紙教材の作成に着手しました。全日制で勤務していた際に,講義や板書を行っても生徒に感謝されることはほとんどありませんでしたが,講義するなら話したい内容や板書で伝えたい内容盛り込んだ自作の通信教育用学習図書(学習書)を作成した際には,生徒から「教科書を読んでもわからなかったが,学習書のおかげで理解できるようになった」「学習書を何度も繰り返し読むことで,レポートの完成を自力ですることができた」など,感謝の言葉を伝えてもらうことが何度かありました。対面指導のようにリアルタイムで生徒の反応が得られるわけではない一方で,生徒の自宅での自学自習に思いを馳せ,どんなところでつまずくだろうかと出来うる限りの想像力を働かせて作成した教材に,事後的にこういった反応が得られることは,通信教育の面白さと奥深さであるとしみじみと感じました。
その後,紙教材をPDF化し,動画教材も加えた学び直し可能なWeb教材を作成しました。Web教材の学び直しの要素として,生徒が理解できない内容に直面した際に,どの内容に戻ればいいかを視覚的に自分で判断できるように,学習内容の「階層分析図」を作成しました。また,どこまで戻ればいいかを自分で判断できるように「事前テスト」の作成も行いました。これらは「教材設計マニュアル」で扱われていた内容であり,Web教材を作成する際にも何度となくこの本を読み返しました。
「教材設計マニュアル」が書かれた当時から20年以上の歳月が経ち,時代も大きく変化しました。生成AIを活用したデジタル教材も珍しくなくなった現代でも,この本からは教材開発において必要で,普遍的な知見が数多く得られるのではないかと思います。通信教育で教材開発に取り組まれている方には,ぜひ手にとっていただきたい1冊です。
加藤 圭太(早稲田大学大学院/愛知県立旭陵高等学校)
(「日本通信教育学会報」通巻63号より)