本書の刊行は1990(平成2)年10月である。日本で初となる生涯学習を支援する生涯教育に関する法律「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」が成立し同年7月1日に施行された直後である。当時、カルチャーセンター、大学、社会教育施設の各講座などで成人の生涯学習への熱は高まっていた。各教育機関では受け入れ、一人ひとりの学習需要に応える支援体制作りが課題となる。
そこで著者は「はしがき」で問う。従来の施設・設備に拠った通学方式中心の教育は学業に専念できる若者を対象と設計されている。そのため、通学方式を成人に当てはめると、その学習を制約することなる。結果、時間と資金に余裕のある成人だけが学習に恵まれる、ということになりかねない。そして、「通信教育の器も無限ではないし弱点もある。しかし、通学方式に比べると、学習者が気軽に学べるメリットがある」とする。「生涯教育が今後、開拓すべきフロンティア(最前線)は遠隔方式の教育にある」と指摘し、以降の章では通学課程にはない通信課程のよさの探求がはじまる。
「一章 生涯学習−その光と陰」では、生涯学習と生涯教育の言葉の意味が整理され、生涯教育論の課題は学校教育依存の教育発想から脱却し成人学習を支援することとする。
まずそのために近代学校の問題点が整理される。「学校式教育」と捉えその特徴と構造的限界が二章、三章で論じられる。近代学校の出現によって、日本では国民の立身出世のチャンスの獲得、欧米に「追いつけ追い越せ」の目標もほぼ達成できた。しかし、1872年に発せられた学制から150年近くたった今日でも以下の「学校式教育」の条件は変化せず、成人の生涯教育に重大な影響を及ぼしていると指摘する。
(1)特定の空間へ通学して学ぶ:日常生活からの遊離
(2)特定の時間に学ぶ:学習者のペースやリズムの無視
(3)特定の学習者が学ぶ:苛烈な進学競争
(4)特定の教育内容・方法を学ぶ:選択する自由を制限
(5)特定の有資格者から学ぶ:師弟関係、間柄重視
こうした「閉鎖制」教育の問題を乗り越えるため「四章 学習の開放」では学習の自立性を前提にした支援の重要性が説かれる。学習時間や空間を開くには、一人ひとりの人生そのものを開放する人生観をもつことも有用であるとする。
「閉鎖制」から「開放制」の教育へ向けて、「五章 通学方式から遠隔方式へ」では、成人学習者の特徴とその需要に応える遠隔方式の教育にスポットライトがあてられる。
成人は職場や家庭で働き、自分に割り当てられた社会的な役割を果たす(生活者)。また、ある具体的な問題状況がきっかけに人生や社会に疑問をいだき、これを点検し改善する必要を感ずる(認識者)。この成人の両側面を考慮し、しかも両者の「連続性」に配慮する必要が求められる。そこで遠隔教育distance educationの登場である。遠隔教育は、教授者と学習者の間にディスタンス(へだだり)があるから、「生活者」と「認識者」の世界を往復する成人学習者の空間的にも時間的にも、分断せず、自立的な学びを支援できる。
続く六章では遠隔教育の原理が述べられる。通信課程独自のよさである「へだたり」がある。「ひとり」で学ばなければならない現実に置かれるため、学習者は一歩ずつ、自分の学習内容・方法を自ら点検しながら改善していく。その過程で自律的・批判的思考を育てることができる。例えば、印刷教材を読むことで執筆者の思考に迫り、次にレポート作成で自分の思考を整理し、さらに添削・返却されたレポートを読み学習成果を自己評価することができるとする。
印刷教材とともに近年の情報通信技術の発展によって学習メディアが印刷メディア、音声メディア、映像メディア、コンピュータ・メディアなど多様化する中で集合学習から個人学習への転換が進む。遠隔教育はこの点でも多様な学びのニーズに応える生涯教育の新しいフロンティアとなる。
次章「七章 通信教育のあけぼの」では過去の実践から日本特有の遠隔教育のよさが明らかとなる。対面の濃密な間柄を重視してきたわが国の教育目的や思想の中でも「ことがら」による学習支援があった。鎌倉時代の法然や親鸞による事例や江戸時代には本居宣長による約500名の門人に対する往復書簡の通信教授の様子が紹介される。
「八章 テキストブックからテクストへ」では、前章の本居宣長による通信教授の研究での言語は個人的なものではなく、客観的な社会的な産物で、言語の解読や吟味が相互主観的になされることで学問的な普遍性を探究できるという気づきから、遠隔方式の印刷教材を充実し、成人高等教育に有用な教材を作成するには方策の重要性を説く。読者の主体的な解釈の対象となる文章を「テクスト」と呼ぶとすると、遠隔教育の学習者は自分で作ったテクストをみずから吟味することによって、もうひとりの自分を発見できる。「へだたり」があっても、そうした共通の記号をたよりに執筆者は学習者と交流を図ることもできる。これは「学校式教育」の間柄主義に陥らない遠隔方式ならではの「ふれあい」である。
さて、白石氏の近著「遠隔教育の再発見―対面教育を懐かしむなかれ」(「特集:学びを止めない(その2)」『社会教育』2020年12月、6-11頁)の冒頭に「学びを止めない―この時期だからこそ新しい学びを開拓すべき」とある。
1990年から30年が経過した。生涯教育論と遠隔教育研究の開拓者である白石氏は今もそのフロンティアで探求し続ける。本学会では古壕会員をはじめ「へだたり」を鍵概念とし遠隔教育の理論的な研究が進められる。
学会の交流の在り方はどうか。学会報の公開、研究協議や研究会のオンライン開催、メディアを活用した取り組みが少しずつ拡がる。白石氏の近著の言葉を借りれば「遠隔座」の関わり。会員が全国に拡がる本学会である。こうした交流をコロナ禍の一時的な対応とせず、遠隔教育研究の更なる前進のため多様なメディアを活用し実践、理論研究の往復運動を生み出していきたい。
堀出雅人(華頂短期大学)
(「日本通信教育学会報」通巻56号より)