人文・社会科学系○学会〇周年記念の記録は何種類か目にしたことがある。ただし、ほとんどは当該学会誌所収の特集記事か、リーフレットの類だったように記憶する。それらと比べて、この一冊は全273頁に及ぶ本格的な単行本で、学会の力の入れ方が伝わってくる。
1957年に刊行された『日本の通信教育十年の回顧と展望』から65年ぶりの記念誌であり、この間の通信教育をめぐる激動ぶりを踏まえ、単なる学会活動の振り返りに止まらない総合的な編集が特徴的である。全Ⅲ部から成り、Ⅰ通信教育の歴史、Ⅱ多様な視点からの通信教育研究の基本的論点、Ⅲコロナ禍に対峙するオンライン教育への提言、さらにコラムが添えられ、全編の随所で通信教育学会の成果と課題について考察している。
Ⅰ部:通信教育学会の歩みは、高校通信・大学通信・社会通信と幅広い領域に及ぶ通信教育全体の歴史と表裏一体であることに改めて気づく。しかも通信教育の歴史は、法制度の変化の荒波を受けてきた点もあぶり出された。ただ、通信教育に関する法制度の変化は、進学率や不登校、学びに関する社会の意識変化など、学校や生徒、社会全体の時代変化の反映であり、その反映の側面の分析こそ重要であろう。
Ⅱ部:本記念誌で多くの頁が割かれたⅡ部は、Ⅰ部で浮き彫りにされた諸領域の諸変化に応じる通信教育の新たな姿を解明する論考群である。それらをまとめると、これまで自明とされた学校教育の定型を通信教育の方法の観点から構築し直そうとする挑戦的議論である。教師と生徒が対面により同時間・同空間において双方向の交流により成立する学習は、決して絶対的な形態ではなく、通信教育が示す別の形態を措定してよい。しかも、その別の形態こそが、今や伝統的な定型を乗り越えようとしいる、との主張である。
Ⅲ部:計画した刊行年度を延ばしてまで急遽挿入した、コロナ禍に対峙する「通信教育からの提言(2020年4月~7月)」である。自由な考察が展開されているが、Ⅱ部で提起された「自明とされた学校教育の定型を通信教育の方法の観点から構築し直」す論調が、コロナ禍のもとで、いっそう強化されたと言える。
また、4本のコラムからは、直ぐに取組めるような研究テーマが導き出される。①オンライン学習の効果を学際的に検証する実証的調査、②遠隔教育の本質的な存在意義、③セーフティネットとしての通信制高校、④インターネット活用の生涯学習。
以上の内容紹介をまとめるうち、浮かび上がる筆者なりの研究課題を付言しておきたい。
今から30年近く前の1996年、筆者が英国オープンユニバーシティに滞在したとき、スーパーバイザーの教授に質問した。「なぜオープンという名称にしたのか。日本にも放送大学があって、英語名称はユニバーシティ・オブ・ジ・エアなのだが(当時)」と。これに対して教授は応えた。「英国でも最初は教育方法である放送メディアを指すエアと呼ぶ計画だった。しかし、あえてオープンとしたのは英国で伝統的な大学であるオックスブリッジに対抗し、女性・黒人・障がい者などにも広く門戸を開く大学を創るという理念を掲げたからだ」と。その後帰国してから、中国の留学生が「中国遠隔高等教育の効果」をテーマに博士論文の作成を援助する機会を得たこともあり、「Open」と「Distance」を総合的に捉え直す観点から、個の「学び」について検討する教育「原理」を考え始めた。
中国農村のような遠隔地の人々、恵まれない社会階層の人々、何らかの理由で学校を休んで(中退して)いる人々へ、教育機会を提供することが広い意味での通信教育の「原理」となる。印刷教材・放送・オンラインという各種メディアを活用する教育「方法」もさることながら、そのグローバルで奥深い「原理」こそ重要な課題として探究すべきであろう。
今津孝次郎(名古屋大学名誉教授)
(「日本通信教育学会報」通巻60号より)