村井先生との最初の出会いがこの本でした。2012年のことです。それから様々な著書を読みましたが通信教育、特に大学通信教育について極めて明瞭に問題点を指摘し、また私の長年の疑問にも答えてくれているのが『通信学習による大学改革』(ギュンター・ドーメン著,鈴木謙三訳,村井実監訳,日本放送出版協会,1972)の「監訳者はしがき」でしたので『教育の再興』の前にこれから紹介します。
村井先生が考える大学通信教育の問題点を一口で言えば「大学問題の埒外にある」ということです。少し引用します。
「(略)日本では、大学通信教育は、一九四八年以来の長い歴史をもっている。だが、その間、その理念についても、組織制度についても、潜在するさまざまの問題点についても、ほとんど本格的な研究は行われた形跡がない(略)政府はもともと、百年来その支配下においてきた大学について、その根本的な変革を欲するわけはなかった。国立大学は、その政府によって保証された「親方日の丸」の地位を放棄してまで変革を追及する気はなかった。私立大学は、経営上の無力と不安とのために、思い切った変革を企てるほどの勇気をもたなかった。そして全国の一二万を越す大学教師たちは、もちろんその地位と権威が基本的に揺るがされる冒険を欲するわけがなかったのである。こうした大学の側において、大学通信教育の運命への関心が全く生じなかったことはむしろ当然というべきであった。「大学改革」の視野の中に「通信」や「放送」が入らなかったのも当然というべきであった。人々がいわゆる「大学」の伝統的特権の保全にのみ心を奪われていたかぎり、歴史的にその大学の「お荷物」にすぎなかった「通信教育」の問題というのは、いわゆる「大学問題」の完全な埒外の出来事でしかなかったのである。(略)」
どうでしょう、2014年に読んでも遜色ないほど変わらずに(変わっていてくれなきゃ困るのですが)今でも埒外だと感じるのは私だけでしょうか。
さて、なぜ埒外のお話かと言いますと大学通信教育の最大の問題であるこの埒外を埒内にするヒントが『教育の再興』に書いてありますよということが言いたかったのです。即ち教育を閉鎖制から開放制へ移行しましょうということです。ようやく『教育の再興』のお話になりました。
では、なぜ開放制にしたいのに閉鎖制になってしまったのでしょうか。それは「国家の側からいえば、国家が認めた学校でなければ教育とは認めない」(P.264)、「富国強兵、殖産興業を国是として掲げ、教育もまた、もっぱらその国是に向かって整える」(P.269)、「動物モデルによる人間観、生産モデルの世界観、材料モデルの国民観」(P.319)ということが根底にあるからのようです。加えてこれまでの人達は、「手細工モデル、粘土モデル、農作モデル、作物モデル、動物モデルを教育に採用」(P.99)してきたことも原因のようです。更に近年の教育の科学化を批判して「科学的といわれる説明を鵜呑みにして、それをそのまま教育の仕事に持ちこみ、それによって教育の科学化を考えたりすれば、それは当然、教育の動物化、あるいは教育の機械化にならないわけにはいかないのです」(P.93)と指摘しています。耳が痛いです。そして「学校外の社会の水準が上がった分だけ、学校の社会的地位は、相対的に低下」(P.278)し「明治維新にあたってこの(註:生産モデルの)教育観を採用し、国民教育の体制化に熱中」(P.279)した結果、閉鎖制教育が強化されてしまったということのようです。
このような閉鎖制を開放制に移行させるために大きな役割を担うのが通信教育ではありますが、少ないながらもこの通信教育に関して書かれた中でも特に重要な部分を引用して終わりにしたいと思います。
「まさに通学の大学が正規なのであって、通信の大学はわき道にすぎないのです。(略)わき道が開かれただけでも感謝しなければならない――これが、閉鎖制体制下での開放の考え方であるのです(略)せっかくの開放の理念が、結局は閉鎖制体制の中での吝嗇な半開き、あるいは大学教育の水割りの制度にしかすぎない(略)開放という名の偽善にすぎません」(P.296)
結局、大学通信教育の問題を埒内にするヒントをお示しできなかったようですみません。でも、村井先生が随分と怒っていることはお分かりいただけたかと思います。では、この先は『教育の再興』をお読みいただければ。
(1987年『村井実著作集 第二巻』小学館, 1987年所収)
(小林 建太郎:株式会社デジタル・ナレッジ)
(「日本通信教育学会報」通巻43号より)