会員の声
COVID-19の影響から、大学の授業はある日突然、前期すべてがオンライン化することになった。やり方を誰かが教えてくれるわけでもない。とにかくZoomやCisco Webexの録画教材と格闘し、ミーティングやウェビナーの方法を「自学自習」した。まさに通信生である。
ところで、少人数の大学院なら、双方向の授業には問題がないが、100人以上の学部生が受講する全学共通科目には苦慮した。ミーティング形式だと、全員の顔がスクリーンに映らないし、操作に慣れない受講生が、生活音や関係ない画像を「共有」してしまうかもしれない。さらに、家庭環境が写り込んでしまったり、本名でアカウント名が表示され、外国にルーツがあることを「強制カミングアウト」させてしまうことにもなりかねない。そこで全学共通科目では、受講者は「視聴のみ」するWebinar形式をとることにした。これなら講師(私)の顔と声、資料だけが配信され、学生の誤操作による「事件」は極力抑えられる。また受講者が、匿名でQ&A機能を使い、質問や意見をライブで共有できる。
教員歴は四半世紀あれど、初めて自宅の「高座」に上がるのは緊張した。そして発見もある。何百人の教室で、挙手して質問する学生はごくまれだが、チャット等への書き込みや質問は実に多い。「名前はニックネームでもよし、書き込みは全員に向けて」をルールにしたが、実に遠慮がない。私が「〇〇知事に似てる」という書き込みには、苦笑した。
オンラインアンケートを実施し、結果を共有すると、大きな反響があった。そこで気づいた。そうか、入学したての1年生は、まだ一度も同級生と顔を合わせていない。アンケートの結果に、他の仲間の存在を実感していたのである。
突然始まった「質保証の議論なき」オンライン化には抵抗もあるが、今はともかくも、学生たちの思いに応えるために、オンラインという手法をどう活かすか…現在進行形で学習中である。
(大阪市立大学 阿久澤麻理子)
(「日本通信教育学会報」通巻54号より)
会員の声
私の職場は「通信による教育を行う学部」のみを有する、いわゆる「通信制大学」と呼ばれるところなのですが、着任後から FD 担当を拝命し、今日に至っています。本学ではここ数年、 FD 活動として主に外部有識者の方を招いての講演や、教員相互の授業参観などを行っていますが、特にこれからの通信制大学における FD は、大きな転換点を迎えつつある のではないかと思っています。というのも、 昨年度の本学会の研究協議会におけるシンポジウムのテーマでもあった「合理的配慮」など、大学への社会的要請の中でも、通学制の課程と同じ考え方だけでは立 ち行かない、通信制として独自に考えていかなければならない課題も多くなってきたのではないかと感じるからです。
またそれに関連することとして「大学通信教育における学修支援」というテーマにも関心を抱いています。と
りわけ、学修支援に専門的に携わる職員の現状という点については、通信制の大学教育に携わる者の一人として、その課題を明らか にしてゆきたいと思っています。
現場での実践と、研究を通じた学会活動。この二つの取り組みを相乗的に活かし、通信教育のさらなる発展に寄与できるよう、日々精進したいと思う今日この頃です。
(八洲学園大学 山鹿貴史)
(「日本通信教育学会報」通巻53号より)
会員の声
通信教育が若者支援にどれだけ貢献できているのか。この問いは、筆者が抱える大きなテーマの一つである。
直近では、「大学等における修学の支援に関する法律」の制定による「修学支援新制度」において、大学通信教育も対象となり、多くの通信制大学が、その認定校となった。
このことを契機に、改めて筆者は、短期大学通信教育を含めた「大学通信教育」の役割を考え始めた。考えるにあたり、近年、本学会にて「通信制高校」に関する議論が活発であることを鑑みて、通信制高校に関する文献等にも触れる機会を増やした。本学会含めて、通信教育に関わる 議論が活発化していることは嬉しく思っている。
その過程で、近年の通信制高校の生徒数と通信制大学の学生数に筆者は注目している。
周知の事実でもあるが、近年、通信制高校の生徒数は新規開設校の影響等もあり増加しており、現在では、 およそ 16 人に 1 人の高校生が通信制高校に通学している状況である。一方で、通信制大学の総学生数は、微減傾向にあるが、 18 22 歳の学生数に着目すると増加傾向にあることがわかった。
この理由について、仮説として、通信制高校を卒業した生徒が、通信制大学に入学しているのではないかと推察している。一方で、専門学校との併修制度による増加も推察されるが、通信制高校における学びを継続したいと考え、通信制大学に進学して欲しいという期待も含めた筆者の仮説でもある。
いずれにしても、通信制高校を卒業生に対して、通信制大学がアプローチすることで、「通信教育」と言う学びの連続性が担保できるのではないかと改めて考えると共に、 この動向を注視していきたい。
(神奈川工科大学 寺尾謙)
(「日本通信教育学会報」通巻53巻より)
会員の声
一昨年末に、「新しい経済政策パッケージ」が閣議決定されたことに端を発して、「高等教育の負担軽減の具体的方策について(高等教育の無償化)」の検討がなされ後、「経済財政運営と改革の基本方針2018」として、閣議決定された。その後、いくつかの経緯を経て、「大学等における修学の支援に関する法律」が制定され、今日に至っている。
この法律に対処するため各大学では、比較的短期間での要件確認および大学としての機関要件を満たすための各種規程等の改定作業に現在も追われているところだと思う。
この法律の第1条に目的として、「この法律は、真に支援が必要な低所得者世帯の者に対し、社会で自立し、及び活躍することができる豊かな人間性を備えた創造的な人材を育成するために必要な質の高い教育を実施する大学等における修学の支援を行い、その修学に係る経済的負担を軽減することにより、子どもを安心して生み、育てることができる環境の整備を図り、もって我が国における急速な少子化の進展への対処に寄与することを目的とする」とある。もっとも、支給の対象となるのは低所得者世帯かつ高等学校等を卒業してから2年の間までに大学等に入学を認められた者を対象としているため、若者支援が目的であることがわかる。
では、若者支援という目的を、これまでの大学通信教育が、どれだけ果たすこと出来たのか、出来なかったのか、を今、思い返している。戦後、大学通信教育が日本の高等教育に果たした役割が大きいことは周知の事実だが、近年に限定した場合、若者支援にどれだけの役割を果たしているのかは疑問である。夜間(二部)教育も衰退し、通信教育課程においても閉鎖する大学も出てきた。今一度、短期大学通信教育を含めた「大学通信教育」の役割を考える時期に来ているのかもしれない。
(神奈川工科大学 寺尾謙)
(「日本通信教育学会報」通巻52巻より)
会員の声
私の本学会入会の動機は研究を発表する場を欲してのところが強かったが、入会後は転職や仕事内容の変化などにより十分な研究時間の確保も出来ておらず、アクティブな活動はできていません。
そんな私に「会員の声」執筆の依頼がありました。「会員の声」として書けることは何なのか考えた末、本稿では学会への期待の部分を中心に以下の2点を書くことにした。期待というよりは希望の部分が強いかもしれません。
①調査研究機能充実のために会員調査など学会の現状把握
本学会は、研究協議会での各会員からの発表題目からも明らかなように、通信教育という一本の柱はあるものの、多種多様な分野の研究を行う会員の所属組織となっています。また、近年学会外での通信教育研究が活発であるとの報告もありました。
そうした状況の中、本学会は、学会外で公表される通信教育研究とどのような差異があるのか、どういったところに学会の強みがあるのか。学会自らが学会員にアンケートなどを通して学会の現状把握を行い社会に還元していくことは学術団体の使命ではないかと考えています。
②通信教育研究を公表する場の拡大
本学会は、年一回の研究協議会と研究論集の発行が主な研究活動となっているかと思う。会員数も増加傾向にあるとはいえ、これ以上の学会主導の活動増は理事会の負担や費用面で難しいのかもしれませんが、極力そうした面に配慮した上で、多くの会員に研究活動を公表する場を設ける方策の検討に期待しています。
例えば、若い会員の増加を考慮して研究協議会開催時にポスター発表のようなことが出来ないか、他の学会と共催の研究会は出来ないか等、検討しても良いのではないかと考えています。
ここまで書いて、そんなに言うなら、お前がやれという声が聞こえそうだが、あくまで、期待というか希望として書かせていただいた点、ご容赦願います。
(岩手大学 小暮克哉)
(「日本通信教育学会報」通巻51号より)
会員の声
まだ至らない点も多い者ですが、貴学会の所属する栄を賜る機会を頂き、誠に感謝申し上げます。最近、遠隔高等教育に関する研究は、授業デザイン、教授-学習活動、学習効果、メディア技術に関するものは多く見られますが、社会システムや教育制度の枠組みの中で遠隔高等教育の存在意義や位置づけ、伝統的な高等教育との関係性など、マクロ的な観点からの理論的考察は多くないと指摘されています。そのためか、前者を扱っている学会はその勢いを増しているものの、後者を扱っている学会はあまり目にすることができませんでした。ところで昨年9月、日本通信教育学会に出会いました。早速事務局のほうに『研究論集』の最新版をお願いし、拝読しました。最も興味深かったのは、鈴木克夫先生の「『スクーリング』とは何か」でした。同論文は、主に日本の文脈上で書かれたものでありますが、様々なことについて考えさせられました。
その中でも未だ疑問に思うのは、そもそもなぜ遠隔教育大学においてスクーリングが必要だったのかということでした。遠隔教育の理念とは、人々により多くの教育機会を提供することです。ところで、スクーリングにはどうしても物理的または時間的な制約が伴います。とすれば、その教育的な目的はさておき、両制約によって依然としてそこに参加できない学生たちが出てしまいます。では、インターネット上か仮想現実の中でスクーリングを行うことですべての問題が解決できるのでしょうか。私はそうとも限らないと思います。
スクーリングが、学生たちを「『学校』に通っている」と感じさせる認識論的信念と関係があると考えているからです。そこで今後の研究では、この仮説を検証したうえで、遠隔教育大学におけるスクーリングの位置づけについて色々お話ができればなと考えております。
(京都大学大学院 鄭漢模)
(「日本通信教育学会報」通巻50号より)
会員の声
今回、星槎の「行動分析学」という科目を受講する予定です。杉山尚子先生のお話を伺い、受講してみたいと思ったのがきっかけです。
昔から先生のランクとしては、昼間大学→昼間高校→夜間大学→夜間高校→通信教育の順で「落ち武者感」のようなものがあったように思います。それは、世間も生徒もそうだったでしょうし、先生自身にもそんな気持ちがなかったとはいえないように思います。「どうしてオレがこんな場末の学校の先生なんだ・・・!」(あくまでも個人の感想です。)
ところが、3月の星槎横浜の会合に参加し、また、静岡で杉山先生のお話を聞いて驚きました。国鉄やJR東海の通信教育担当者(講師を含む)と同じような気持ちで取り組んでいる人たちがいたからです。 それで、ぜひ通教を受講したいと思うようになりました。冥途の土産とでもいいましょうか?
18歳で国鉄の「鉄道一般」を受講し、半世紀後に再度通信教育で学べるなんて、本当に嬉しいことです。
(元国鉄職員 長谷川晴通)
(「日本通信教育学会報」通巻50巻より)
会員の声
大学教員生活3年目の私ですが、それまでは大学職員として、主に入試広報・学生募集に17年程、携わってきました。その業務の中で、大学全入時代といわれながらも、なぜ高校生は大学に進学しないのだろうか、という疑問が生じ、社会人学生として通信制大学院へ入学し、その後、博士後期課程へ進み、学位論文としてまとめることとなりました。学位論文では若者の就労問題を分析視角のひとつに取り上げましたが、執筆の過程において、高校、大学にかかわらず、一旦は学校から社会への移行を果たしたものの、離職した者のその後の動向について関心を持つようになりました。離職した若者たちはどこへ行ったのだろうか、離職した者への社会的ケアはどのようになっているのだろうか、これが私の研究関心のひとつであります。
つまり、離職した若者を社会へ戻す仕組みづくりです。こうした問題は、自己責任論の中で、個人の問題に帰してしまいがちですが、やはり、若者支援としての教育インフラの整備を進め、「スキルアップ」「学び直し」の場を提供していくことが必要だと感じています。そのひとつの方法として、通信教育、遠隔教育に可能性を見出したい、これが私の入会の動機でございます。もちろん、既に民間企業を中心に、一定の環境はありますし、人によっては「今さらどうなんだろう・・・」という疑問を抱かられることもあるでしょう。しかし、私は、大学教育を軸とした地道な仕組みづくりこそが重要だと考えています。紙幅の都合で詳細は次の機会とさせていただきますが、とくに地方において、その重要性は増していると感じています。
このような問題意識を持ちながら、研究活動に邁進していく所存です。まだまだ研究者として未熟ではありますが、今後ともご指導ご鞭撻のほど何卒宜しくお願い申し上げます。
(神戸松蔭女子学院大学 長谷川 誠)
(「日本通信教育学会報」通巻49号より)
会員の声
自分の専攻は「学校地理学」だと思っています。都心に開設された学習センターは「オフィス立地」の新しい形態です。通信制高校の本校が過疎地域の統廃合された学校の跡地に開設されることは、「地域おこし」につながり、学校の持つ地域での「拠点性」が維持されます。各地に「立地」する通信制高校の「本校・分校」がどのような条件・理由から開設されたのか、生徒にどんな学びを保障するのか、その地域の教育に与えている影響、課題や問題点の指摘を目的としています。そのため、各県の「通信制高校の設置基準」と各校の「学則」を集め、文献・地図検索のうえ現地に行きこれらの施設の状況を確認し、場合によれば訪問・聴き取りを行っています。研究を始めたころ(2010年前後)には友好的に迎え入れてもらえましたが、最近では事前にアポを取ることが難しい場合が多く「飛び込み」で訪問しています。相手にとっては迷惑な訪問かもしれませんが、入り口で断られればそれまでで、中に入れてもらえればしめたものだと思います。今まで何回か訪問して実情を聞き取りました。
こんな研究手法は通信制高校の研究者としては少々異質な存在だと思っています。多くの研究者は通信教育に従事している(していた)事を踏まえての研究か、様々なつながりから通信教育を行っている現場に「参与観察者」として入っている場合が多いと思います(特に学生・院生の場合)。それぞれ独自の視点から実際に行われている教育活動について観察されて問題点を指摘されています。教育学研究には教育現場についての観察が必要です、そういうことがあるからこそ現代の教育の実情が明らかにされ、課題や問題点が浮かび上がってきます。研究発表を聞くたびに、このことを感じています。教育現場を踏まえての皆さんの研究報告に期待しています。
(佛教大学大学院修士課程 秋山 吉則)
(「日本通信教育学会報」通巻49号より)
会員の声
私は高校一年の時に数学で0点をとったことがある。いつも、進学校で教えるのがオレのあるべき姿だとほざく男を私は嫌いだったが、二年になると浜松西高から来た先生が数学を受け持つことになった。先生は私たち低空飛行組を無視することはなく、授業も親切丁寧で分かり易かった。話の最後に「ダイネ」をつける癖が面白く、正の字を書いて数えたこともあったがすぐに百を超えてしまうのでつまらなくなってやめた。
その時は兄が国鉄通信教育の応用数学第2分冊を始めたばかりであった。第1分冊の報告課題は自力でやっていたが、商高卒業の兄は第2分冊の問題が難し過ぎて手が出なかった。先生に解き方を教えて貰おうと職員室へ行くと、先生は「説明してもまだお前には分からんからパンでも食べながら横で見てるダイネ」と言ってパンと牛乳をくれた。突然見せられたのに目の前で苦もなく解いてくれた報告課題は、名古屋鉄道教習所から返送される度に満点あるいはその近辺で、兄はその後によく勉強して修了試験に合格した。
先生は毎日放課後に校内を見回っていたので、私も落ちこぼれ仲間のMとともに施錠して歩いた。夕方は3人で掛川駅まで歩いて電車に乗り、数学と関係ない話をしながら帰った。中退しようとまで悩んだ学校が夢のように楽しい場所に変わっていった。
それから12年後、兄は私の結婚式で初めて先生に出会った。自分がやるべき報告課題を6回も解いてくれた方、国鉄の大学課程に進む希望を与えてくれた恩師として、彼は最大の敬意と感謝の思いを伝えた。
先生が亡くなられた直後にお宅をお訪ねした際、奥様の言葉は暗くなりがちであったが、先生の口癖を真似ると笑って下さった。そして、「あなたとM君の話をよく聞かされたわ」と声を出して笑い始めた。教え子としてこれに勝る喜びはなかった。
(常葉大学 科目等履修生:長谷川 晴通)
(「日本通信教育学会報」通巻48号より)
会員の声
文部科学省から発出された平成28年9月14日付け28文科初第770号「不登校児童生徒への支援の在り方について」の記2 (4) には、次のような規定があります。「義務教育段階の不登校児童生徒が自宅においてICT等を活用した学習活動を行った場合の指導要録上の出欠の取扱いについては、平成17年7月6日付け17文科初第437号『不登校児童生徒が自宅においてIT等を活用した学習活動を行った場合の指導要録上の出欠の取扱い等について』によるものとすること。」この規定からは、義務教育段階にない高校の不登校生徒に対しては、「17文科初第437号」が適用できないようにも読み取れます。
実際、ある国会議員の質問主意書に対する、内閣総理大臣の平成28年8月15日付け参議院議長あて答弁書「内閣参質191第9号」の「四の2について」でも、「17文科初第437号」による出席扱いは義務教育段階を対象としたものである、と記述されています。
ところが、同じ議員に対する、平成28年6月2日付け答弁書「内閣参質190第122号」の「四の1について」では、「17文科初第437号」に関して、「全ての小学校、中学校、高等学校等において」と記述されており、小学校、中学校だけでなく、全ての高校の不登校生徒も適用対象であることを示していました。そもそも「17文科初第437号」じたいに、適用対象を義務教育段階の不登校児童生徒に限るとの規定は、ありませんでした。
「17文科初第437号」の適用対象がこのように縮減されることは、平成28年6月から8月までのあいだに、政府で何らかの方針転換がおこなわれたことを意味しているのでしょうか。もし、そのあたりの事情を御存知の会員があれば、御教示いただければ幸いです。
(愛知県立旭陵高等学校:石川 伸明)
(「日本通信教育学会報」通巻47号より)
会員の声
日本通信教育学会。私の人生の節目節目と深く関わっている団体です。
私が大学院生のとき、研究テーマは「通信制大学の学生会組織の研究」でした。そのアドバイスを得られればと思い、研究協議会に参加したのが最初の接点でした。通信制教育関係ですでにお名前を知っていた先生方と知り合え、修士論文の質が大幅に上がりました(たぶん)。
修士課程修了後は教員として就職。就職先は広域通信制高校のS高校。札幌学習センター勤務がはじまりました。業務に追われる中、実践での気付きをもとに研究会での発表や「研究ノート」の執筆もおこなったのもいい思い出です。
ちょうど日本通信教育学会で「通信制高校」研究が大きく扱われだしたのもそのころでした。若手メンバーで研究会を実施したのを懐かしく思い出します。その時も、日本通信教育学会は後援として支えてくださいました。ありがたいことだと思います。
通信制高校教諭として札幌と帯広で4年を過ごしました。その高校で「人柄がいいけど、書くことができなくて進路がなかなか決まらない」生徒たちと出会い、作文や論述の対策、面接練習を行ってきました。そして次第に、「書く」ことを指導することに特化した指導をしたいと考えるようになりました。高校生にとどまらず、小中学生や社会人などの幅広い方たちに、「書く」ことのコツと楽しさを伝えたいと考えるようになりました。
そして平成28年3月に退職し、独立。現在は「作文教室ゆう/理数教室ゆう」を経営しています。こちらの塾には通信添削コースを設けています。遠隔教育の良さである「へだたり」の効果と難しさを実感する毎日です。
通信制大学研究から通信制高校の研究。そしていまは民間の立場からの通信制教育事業の経営。改めて、「通信制」という制度の奥深さを実感しています。
(日本ノマド・エジュケーション協会 事務局長、作文教室ゆう/理数教室ゆう代表:藤本 研一)
(「日本通信教育学会報」通巻47号より)
会員の声
全国の公立通信制と一部の私立通信制で構成される全国高等学校通信制教育研究会(全通研)は、平成28年1月25日『通信制高等学校の適正化を求める声明―通信制高等学校における教育の充実・発展のために』と題する声明を発表した。
よく通信制の教育方法について、通信制では全日制・定時制よりも「柔軟」(フレキシブル)に教育を実施できると主張されることがある。しかし、通信制の教育方法については、通信制専用の文部省令である高等学校通信教育規程に、全日制・定時制にはない規制があるほか、さらに高等学校学習指導要領でも、1単位あたりの添削指導・面接指導の回数・時間数など、全日制・定時制の「授業」よりも格段に細密な規制をおこなっている。
学校教育法施行規則では、全ての高校に共通の規定のうち一部の条項に限って、通信制に「適用しない」と規定している(第101条第2項)。この規定によって通信制に適用が除外される条項については、「適用しないことができる」のであれば「適用することもできる」が、「適用しない」と規定しているのであるから、通信制には「適用できない」。
通信制では、高等学校通信教育規程や高等学校学習指導要領の定めるところに従って、全日制・定時制と異なる教育方法で教育を「実施することができる」のではなく、全日制・定時制とは異なる教育方法で教育を「実施しなければならない」のである。
もし通信制の教育方法について、全日制・定時制よりも「柔軟」(フレキシブル)に教育を実施できると主張されることがあるとすれば、それは、高等学校通信教育規程や高等学校学習指導要領を逸脱しているからに他ならない。
(愛知県立旭陵高等学校:石川 伸明)
(「日本通信教育学会報」通巻46号より)
会員の声
2013年11月16日開催の第61回研究協議会における「社会人の学びの場としての通信制大学院を考える」でパネリストとして招聘された際、「現在、短大、大学、大学院の三重学籍を実践中」とご報告させていただきました。結果として、2015年3月21日に通信制の「自由が丘産能短期大学」「放送大学」「放送大学大学院」から3つの学位記を受け取ることができましたのでご報告いたします。
もともとは、「たとえ通信制であったとしても、大学なんて忙しいから無理だよ!」って声に対抗するつもりで3つの教育機関に在籍してみたのですが、わずか2年間で3つの学位記を受け取ることができました。私なりに「限界に挑戦」してみたつもりですが、やればできることが判明しました。
「二重学籍禁止じゃないの?」と言われそうですが、法令上は禁止事項ではなく、各教育機関に確認及び許可を戴き、挑戦することができました。無論、正面から立ち向かっては、学習スケジュールに都合が付きやすいといわれる通信制大学であったとしても、最低限の在籍期間で3つの学位記を得ることは困難です。短大は2年次編入、大学は3年次編入かつ事前に科目履修生等で卒業に必要な単位を充足済、大学院は他大学院修了生として10単位認定といった特例をフルに活用したことで、三重学籍における同時学位記授与を実現することができました。
「無謀な挑戦」でしたが、やればできるということを証明してみたつもりです。それに、実際やってみると、どうしても学びたいという気持ちが勝り、複合的にいろいろなことを学習することができました。同時に、学びの限界は自分が思っている以上であることを確認することができました。しかし、これが「通学制」だったらどうでしょう。絶対に実現不可能な挑戦だったと思います。
(メガバンク行員:稲垣 諭)
(「日本通信教育学会報」通巻45号より)
会員の声
特別支援学校高等部は、学校教育法第82条において準用する第84条の規定によって、通信教育(通信による教育)をおこなうことができます。この法律に基づいて、特別支援学校高等部の通信教育についての規定が、学校教育法施行規則第134条と特別支援学校高等部学習指導要領第1章第2節第6款の5にあります。しかし法規はあるものの、特別支援学校高等部の通信教育についての実施事例の報告などは見当たりません。
特別支援学校高等部学習指導要領第1章第2節第6款の5は、「療養中の生徒及び障害のため通学して教育を受けることが困難な生徒について、各教科・科目の一部を通信により教育を行う場合」の規定です。これに対して高校の通信教育は、おもに経済的な理由のために通学が困難な勤労青年および成人のためのものですから、両者では、その目的が異なっています。
高校の通信教育では、ちかごろ障害のある生徒が増加しているように見受けられます。そのため、特別支援学校高等部の通信教育と高校のそれとを比較し、両者に共通する問題や役割分担の在り方を検討することは、これからの通信教育学に必要な研究テーマになるのではないかと考えられます。
ついては会員の皆様のなかで、もし特別支援学校高等部の通信教育について実施事例などを御存知の方があれば、是非とも御教示いただければ幸いです。
連絡先:ishikawa.nobuaki@nifty.ne.jp
(愛知県立旭陵高等学校:石川 伸明)
(「日本通信教育学会報」通巻45号より)