会員の声

研究課題:通信制高校における教育保障

2014年1月6日 00時00分
会員の声

 ここ数年通信制の研究が盛んになってきたことに驚きとともに喜びを感じます。研究対象としても未開拓な部分も多く、特に近年の変化は目覚ましいにもかかわらず、その研究は緒についていないと言えます。通信制教育というと教育界では傍系に位置づけられ、主流にはなりにくい分野であることもその一因と言えるでしょう。

 通信教育は教育保障という意味では極めて重要な意味を持つ制度だということが言えます。教育の均等を実現するうえで通信制の持つ役割は大きなものがあると言えるでしょう。

 私の研究は、通信制高等学校での生徒の教育保障ということにあります。近年の生徒の質の変化に対応する通信制高校では、多様性に応える教育体制が必要です。高校に入学してくる生徒はニーズもモチベーションもバックボーンも様々です。こうした生徒への指導をいかに高め、学習の質を保証しながら、教育基本法に謳われている人格の完成を目指した教育を行うことができるか、通信制の制度・カリキュラム、臨床的指導を考察していくことを目的しています。

 通信制高校が高校教育のセイフティーネットと呼ばれるようになって久しいですが、通信制高校教育は最後の砦ではなく、全日制、定時制と並ぶ第三の選択肢としてあるというのが正確な認識です。教育の機会均等のもとに教育の質的保証を確実なものにすることで通信制高校は充実した役割を果たすことができます。しかし、残念ながら現在は制度的な壁や経済的な問題により生徒のニーズに応えることが十分にできません。

 通信制高校は可能性をもった教育の場です。教育の本質を目指した豊かで充実した教育を行うことがなされるように、現実に即したきめ細かな教育指導が果たされるように教育の整備が進められるべきものでしょう。

(早稲田大学非常勤講師:上野 昌之)

「日本通信教育学会報」(通巻41号)より

サポート校への新たなまなざし

2013年10月16日 00時00分
会員の声

 近年、通信制高校卒業生が増加している。『学校基本調査』(文部科学省, 2012)によれば、特に私立通信制高校卒業生の増加傾向が顕著である。さらに同調査は、今や通信制高校に通う生徒のうち約7割が10代であり、卒業生の約8割が私立出身だということを明らかにしている。これらの事実を考慮すれば、近年では私立通信制高校に対するニーズの高騰と、生徒層の若年化という現象が同時に生じていると指摘できる。では、これらの現象が生じる要因は一体何か。その一因として挙げられるのが、サポート校の存在である。サポート校とは、私立通信制高校に在籍する生徒の「登校」ニーズを満たしながら、彼らの高校卒業資格取得支援や進路支援を行う民間教育機関である。その在校生徒には高校中退経験者が多く、サポート校には彼らの「居場所」としての役割が期待されている。従来の研究上の文脈で言えば、高校中退は「脱学校」を意味し、その経験者は「脱学校」的な価値観を持つと解釈されてきた。しかし、高校中退を経験した彼らのうち数割は私立通信制高校に編入し、サポート校への「登校」を伴いながら高校生活を送っている。この現象は、生徒に焦点を当てれば、彼らを「脱学校」的な価値観を持つ存在だとする一元的解釈に対する妥当性の低下を示唆し、制度に焦点を当てれば、サポート校は「通信」教育と毎日の「登校」という、相対する教育現象を内包しつつそれを可能にする機関だということを示唆するものである。

 これらの事実を踏まえ、私は自身の研究を通じて、サポート校及びそこに通学する生徒に対する新たなまなざしを提供し、後期中等教育機関におけるサポート校の社会的機能を明らかにしたいと考える。そのためにも、今後は本学会に積極的に参加し、自らの研鑽を積んでいきたい。

(名古屋大学大学院:内田 康弘)

「日本通信教育学会報」(通巻40号)より

通信制とは何か―その目的と定義―

2013年9月30日 00時00分
会員の声

 通信制高校は、さまざまな事情で通学できない生徒に対して、通信手段を利用することによって、通学しなくても通学制におけると同等の量と質の教育の機会を保障する制度です。「通学できない事情」が何であっても事情を問わずに教育の機会を保障することが、「通信による教育を行う課程」(「学校教育法」第4条)と定義されている通信制の目的です。

 むろん、通信手段を利用した教育それじたいに、生徒の「通学できない事情」そのものを解消する機能があるわけではありませんから、「通学できない生徒を通学させるようにすること」が、通信制の目的になることはありえません。現在の通信制には、勤労青少年だけでなく「不登校」の生徒も数多く入学していますが、そもそも、通信手段を利用して教育をおこなえば生徒の「不登校状態」が解消できる、というわけではないのです。

 通信制の教育の核心は、あくまで郵便など通信手段を利用して実施する添削指導(通信による教育)です。通信制においては、通学制の「授業」に相当するのは添削指導であり、生徒を出校させて実施する面接指導(通学による教育)は、そのような通信手段による添削指導(通信による教育)では実施できない部分を補完するもの、という位置づけです。

 このような通信制の本来の在り方から離れ、もし面接指導を「授業」と位置づけて実施するようなことがあれば、もはや通信制と呼ぶことはできません。たとえ全日制のように通常の時間かつ時期(フルタイム)に「授業」をおこなうのでなくとも、特別の時間または時期(パートタイム)に「授業」をおこなうのであれば、それは定時制の定義(「学校教育法」第4条)に該当することになるからです。

(愛知県立旭陵高等学校:石川 伸明)

「日本通信教育学会報」(通巻40号)より

「きっと卒業しよう・・」の決意

2013年9月2日 00時00分
会員の声

 命の現場で仕事をしていた頃、一つの専門家でいいのかという疑問を抱き、社会的視野の狭さにも気づき自問自答しました。そして、「大学へ行こう」と決心し通信教育の社会福祉課程に入学しました。しばらくして教科書がどっさり届き、どこから手を付けていいのか解らないまま、半年、1年が過ぎました。そこから猛ダッシュしてテキストを片っ端から読みつつ、図書館へ通いレポートを書き、試験を受けてたまに落ちて、再試験を受けたりしながら卒業にたどりつきました。「必ず卒業して国家資格を」と寝る間も惜しんでというのはオーバーですが、卒業後社会福祉士の国家資格も取得しました。でも今思い起こすと大学入学後、(福祉学部、教育学部、大学院で通信教育10年間)「何で大学に行ったのだろう、こんなにも大変な≪レポートと、試験、試験、卒論・修論に≫追いかけられて・・」夢にも出てきました。

 この期間、学費は自分で拠出しようと頑張って働きました。すべては夫や家族、特に母の支え、大学の仲間の支え、大学の先生方の支援があったからこそ、仕事もしつつレポートや論文も書けたと深く感謝しています。

大学通信教育においての学びは決して生易しいものではありませんでしたが、人が「教育をどの様な方法で学ぼうと、学ぼうとする姿勢が大事なんだ」ということを改めて感じている今日この頃です。

 さらに先日の通信教育学会では熱い研究発表が繰り広げられ、教育への思いを広げることができました。これからも学会には参加していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

(京都府教育委員会 中学校SSW:辻 康子)

「日本通信教育学会報」(通巻39号)より

通信教育よ「ありがとう」。

2013年7月31日 00時00分
会員の声

通信教育よ「ありがとう」。

 私が人生を楽しく過ごせるのも、学会の会員に加入できたのも通信教育との出会いからである。今の私が在るのは通信教育のお蔭だ。そういっても過言ではないと本気でそう思っている。

 私は生涯学習インストラクターの認定を得るために社会通信教育を受講した。その教材の中で白石先生を知り、もっと学びたい、もっと知りたいと掻き立てられるようにして通信制大学院に突き進んだ。大学院が通信制で学べるのだからこんな感激はない。その後、修了と同時に白石先生の紹介を経て日本通信教育学会に加入させていただいた。学びを通して人と出会い、さらにその輪を広げることができた。それは今も続いている。学びが私の人生を豊かにしてくれた。

 通信教育が私の学びの幅を広げてくれた。通信教育が私に自信を与えてくれた。通信教育には世代も職業も違う学習者が大勢いる。その誰もが向学心に燃えた人たちである。ボヤボヤしていられないと大いに刺激になった。通学制では諦めていただろうことを可能にしてくれたのが通信制の存在だ。家庭と仕事、更に遠方とあれば到底叶わぬ夢である。何をしたいのか。どう生きたいのか。例え紙媒体だけのやり取りであっても、きめ細かな指導内容は学ぶものの心を捉えて離さなかった。私を夢中にさせた。通信教育よ「ありがとう」私は学ぶことの楽しさを知った。

 最後に、通信制または通学制のどちらにせよ、学習者が自分に適した選択をすれば良いと思う。大切なことは「何を学んだか」「どんな素敵な出会いをしたか」ではないだろうか。

((有)ピアノ技術センター:片所 真理子)

「日本通信教育学会報」(通巻39号)より