朝日 稔『私の手帖―その遥かなる道』朝日稔叙勲記念事業実行委員会,1983年.
2017年7月20日 03時00分本書は長年、高校通信教育に携わった朝日稔氏の自伝である。朝日氏は戦後高校通信教育が始まった昭和23年から自身の定年までを通信制高校にて勤められ、それ以後も多様な形で高校通信教育に携わった、高校通信教育とともに生きた「通信制の神さま」とも呼ばれる方である。
本書は長年、高校通信教育に携わった朝日稔氏の自伝である。朝日氏は戦後高校通信教育が始まった昭和23年から自身の定年までを通信制高校にて勤められ、それ以後も多様な形で高校通信教育に携わった、高校通信教育とともに生きた「通信制の神さま」とも呼ばれる方である。
「大学通信教育」とは、1950(昭和25)年に正規の課程として開始されたものである。現在では「大学通信教育=私立大学」という認識が、通信教育関係者の中でも、もはや当たり前のものとなっている。
花柳幻舟が何者かご存じでない方は、まずはWikipediaで検索されることをお勧めする。本書は、舞踊家、女優、作家にして、その所業で世間を騒がせることの多かった希代の女丈夫による放送大学卒業報告である。
インターネットが今日ほど普及していなかった時代、毎年4月になると、「今年こそは」とNHKラジオ・テレビ講座のテキストを揃える…そんな経験を誰もがもつのではなかろうか。たとえ数か月の継続だったとしても、そう思える状況は何か前向きな気持ちの現れのように感じられる。もちろん視聴を続けて語学や料理などの技能を習得した人も多いだろう。しかし、これまで私たちの日常に定着してきた放送個人学習に関して体系的に行われた研究は意外にも少ない。
私人の手紙の交流は通常、公開されない。しかし杉田玄白と建部清庵とのこの往復書簡、4通は私蔵されなかった。当初からこの書簡は玄白の入門者のテキストとされていた。しかも「和蘭医事問答」の名で公刊された。メールによる多彩な交流や転送が容易になった今、この歴史的な質疑応答は再評価できる。
村井先生との最初の出会いがこの本でした。2012年のことです。それから様々な著書を読みましたが通信教育、特に大学通信教育について極めて明瞭に問題点を指摘し、また私の長年の疑問にも答えてくれているのが『通信学習による大学改革』(ギュンター・ドーメン著,鈴木謙三訳,村井実監訳,日本放送出版協会,1972)の「監訳者はしがき」でしたので『教育の再興』の前にこれから紹介します。
資格を与えることに目的をおく教育は時代遅れ。通信教育はノン・クレジット・コースだけにすべき。日本の教育界のがんである学歴、レッテル主義と学閥の弊風を一掃し、実力主義を打ちたてよ。こうした主張が強かったものの、クレジットの現実的な必要を説く教育現場の声に押され、ノン・クレジットの栄冠は社会通信教育の頭上にのみ輝いた――。
著者の手島氏は、高校教諭として、15年間公立の通信制高校に勤務した経験を持ち、現在も通信制高校に関する研究や発言を続けられている。
宮子あずささんは、看護専門学校を卒業後、大学通信教育で学士、通信制大学院で修士の学位を取得、働きながらの学びで博士の学位までを取得された方である。その平成5年から現在に及ぶ学びは、多くは通信教育での学びである。本書は、そのうち最初の学士課程である産能大学卒業を過ぎた頃から明星大学通信制大学院での学びの過程をつづった体験記兼Tips集である。
主人公・野中婉(1660~1725)が初めて師・谷秦山と出会ったときの思いを、大原富枝はこう書く。
『子育てごっこ』で直木賞を受賞した三好京三が、自身の体験をもとに書いた中年大学生の通信教育奮戦記である。三好が慶應義塾大学文学部国文学科(通信教育課程)に入学したのは昭和40年4月、卒業は46年3月なので、卒業までに6年かかっている。一方、小説の主人公の信吉は4年で卒業している。その4年、4回にわたるスクーリングでの出来事を、汗と涙、それに多少のロマンスを交えて、遅れてやってきた輝ける青春として生き生きと描いている。