通信教育のこの1冊

藤岡 英雄『学びのメディアとしての放送-放送利用個人学習の研究』学文社,2005年.

2017年7月20日 00時00分
通信教育のこの1冊

 インターネットが今日ほど普及していなかった時代、毎年4月になると、「今年こそは」とNHKラジオ・テレビ講座のテキストを揃える…そんな経験を誰もがもつのではなかろうか。たとえ数か月の継続だったとしても、そう思える状況は何か前向きな気持ちの現れのように感じられる。もちろん視聴を続けて語学や料理などの技能を習得した人も多いだろう。しかし、これまで私たちの日常に定着してきた放送個人学習に関して体系的に行われた研究は意外にも少ない。

杉田玄白・建部清庵『和蘭医事問答』岩波書店,1976年.

2015年7月1日 01時00分
通信教育のこの1冊

 私人の手紙の交流は通常、公開されない。しかし杉田玄白と建部清庵とのこの往復書簡、4通は私蔵されなかった。当初からこの書簡は玄白の入門者のテキストとされていた。しかも「和蘭医事問答」の名で公刊された。メールによる多彩な交流や転送が容易になった今、この歴史的な質疑応答は再評価できる。

村井実『教育の再興』講談社, 1975年.

2015年7月1日 00時00分
通信教育のこの1冊

 村井先生との最初の出会いがこの本でした。2012年のことです。それから様々な著書を読みましたが通信教育、特に大学通信教育について極めて明瞭に問題点を指摘し、また私の長年の疑問にも答えてくれているのが『通信学習による大学改革』(ギュンター・ドーメン著,鈴木謙三訳,村井実監訳,日本放送出版協会,1972)の「監訳者はしがき」でしたので『教育の再興』の前にこれから紹介します。

秋田大学鉱山学部編『通信教育十五年』秋田大学鉱山学部通信教育室,1962年.

2014年10月21日 00時00分
通信教育のこの1冊

 資格を与えることに目的をおく教育は時代遅れ。通信教育はノン・クレジット・コースだけにすべき。日本の教育界のがんである学歴、レッテル主義と学閥の弊風を一掃し、実力主義を打ちたてよ。こうした主張が強かったものの、クレジットの現実的な必要を説く教育現場の声に押され、ノン・クレジットの栄冠は社会通信教育の頭上にのみ輝いた――。

手島純『これが通信制高校だ』北斗出版, 2002年.

2014年1月20日 00時00分
通信教育のこの1冊

 著者の手島氏は、高校教諭として、15年間公立の通信制高校に勤務した経験を持ち、現在も通信制高校に関する研究や発言を続けられている。

宮子あずさ『大学通信教育は卒業できる』メディカ出版, 2004年.

2013年9月16日 00時00分
通信教育のこの1冊

 宮子あずささんは、看護専門学校を卒業後、大学通信教育で学士、通信制大学院で修士の学位を取得、働きながらの学びで博士の学位までを取得された方である。その平成5年から現在に及ぶ学びは、多くは通信教育での学びである。本書は、そのうち最初の学士課程である産能大学卒業を過ぎた頃から明星大学通信制大学院での学びの過程をつづった体験記兼Tips集である。

大原富枝『婉という女』」講談社, 1960年.

2013年8月19日 00時00分
通信教育のこの1冊

 主人公・野中婉(1660~1725)が初めて師・谷秦山と出会ったときの思いを、大原富枝はこう書く。

三好京三『キャンパスの雨』文藝春秋, 1979年.

2013年7月16日 00時00分
通信教育のこの1冊

 『子育てごっこ』で直木賞を受賞した三好京三が、自身の体験をもとに書いた中年大学生の通信教育奮戦記である。三好が慶應義塾大学文学部国文学科(通信教育課程)に入学したのは昭和40年4月、卒業は46年3月なので、卒業までに6年かかっている。一方、小説の主人公の信吉は4年で卒業している。その4年、4回にわたるスクーリングでの出来事を、汗と涙、それに多少のロマンスを交えて、遅れてやってきた輝ける青春として生き生きと描いている。